こたろーを応援して頂いた皆さまへ。
ブログを書き始めたのは
こたろーが病気と分かって、こたろーが生きている証を残すため。
たくさんの方たちやワンコやニャンコに出会えて幸せでした。
こたろーだけが病気と闘っているのではないと勇気をもらいました。
たくさんの方たちにワンコにニャンコに応援されて
私もこたろーもとてもとても幸せでした。
皆さま、今までたくさんの応援をしてくださって、本当にありがとうございました。
こたろーはたくさんのお友達の待つ、虹の橋へ旅立ちました。
身内だけで静かにこたろーを昨日24日に送りました。
今は元気に家の中を走り回って、好きな物を食べて寝て・・・
どこにも痛みや苦しみもなく元気なこたろーが傍にいる感じです。
短命のこたろーでしたが
私達家族は7年10カ月という間、中身の濃い時間を共に過ごしてまいりました。
後悔は一切ありません。
これは先日も載せましたが、こたろーが笑顔でお外にいる最後の写真になってしまいました。

私にとっては、とてもとても大事な写真の1枚になりました。
でも。。。とてもとても幸せな日々でした。
皆さま、本当にありがとうございました。
楽しい日々を幸せな日々をありがとう、こたろー。
2009年9月23日 PM9:30ごろ こたろー 永眠
皆さまへお願いです。
こたろーへの最後のメッセージを頂ければとても嬉しく思います。
今までコメントを入れた事が無い方も、お名前を出したくなれば非公開でもかまいません。
こたろーの霊前へ供えさせて頂きたいと思います。
追記にて、こたろーの最期を書かせて頂きました。
写真などは一切ありません。
ですが長文になりますので読みたくない方はどうぞスルーして下さい。
09年9月23日(水)
神経症状が日に日に悪化していくのを私は傍で感じていました。
これだけは、どうする事も出来ない。
数日前から強制給餌を普段よりも強く拒絶するようになっていました。
「もういらないよ、お母さん」と言っていたのだと今はそう思えます。
この日は朝から家の中を気がふれたように走り回っていました。
普段は声をかけるくらいの息子が制止するほどに・・・。
息子とはこれが最期となりました。
私がこたろーの異変に気がついたのはお昼過ぎ。
家を徘徊する回数が異常に多く、よくよく見ていると
目の焦点が合っておらず、朦朧と意識障害を起こしている感じでした。
又、嘔吐も始まりました。
すぐに夫に連絡。
千田先生にも連絡。なぜなら抗けいれん薬の影響があるかもしれないと考えたからです。
先生はその可能性は低いとのお返事。
逆に、抗けいれん薬では抑えきれないほどの異変が脳内で起きている可能性がある。
とのお返事でした。
よだれがひどく舌がしわしわになってきて、脱水症状を起こし始めています。
23日は祭日でいつもの病院は6時以降にならないと夜間診療が始りません。
仕方なく、違う初めての病院へ行きました。
そこで輸液と吐き気止めの注射をしてもらい、一旦帰宅。
でも・・・一向に症状がおさまる気配がなく、逆に又、脱水症状が出始めています。
この時、既にこたろーは夫や私の事は誰だか分かっていない状態であったと思います。
家では対応できないと判断し、
再度、病院へ行き入院させることにしました。
先ほど行った時に入院を勧めるといわれたのですが、初めての病院で躊躇してしまった事、
又、症状がおさまると信じていましたし今日が最期という思いは全くありませんでした。
入院時は見ている事が出来ないくらいに酷い状態でしたが
諦められない、絶対に良くなって家に戻ってくると信じておりました。
預けて帰ってくる時のこたろーの顔が今でも忘れられません。
朦朧とした顔で私達の顔を見て奇声に似た声をあげ泣くのです。
この時に初めて、私はもしかしたら・・・という不安を覚えました。
そして夜の9時に病院より電話。
泣きじゃくりながら夫と病院へ。
本当に少し前まで寝たり起きたりしていたとの事。
でも、病院へ着いた時にはもう意識もなく、舌も紫色になっておりました。
電気を通すと微弱に心電図が動く状態。
こたろー、こたろー!と読んでも全く微動だにせず
夫と私はこたろーにしがみついて声をあげて泣きました。
これ以上、続けても無理な事は見て分かりました。
先生に全てはずして下さいとお願いを致しました。
よく頑張ったとたくさんたくさん褒めてあげました。
もう苦しい思いをせず、楽になれたのだと思ったら心が軽くなりました。
せめてもの救いは苦しんだ時間が短かった事。
クッシングと分かって約1年。本当にこたろーは頑張りました。
今年の2月、3月と病気を忘れさせてくれるほどまでに元気になって
遠くまでお散歩に行けた事。
病気になってからほんの少しの期間でも楽しい時を過ごせた事は
本当に良かったと心からそう思います。
そして、まだぬくもりのあるこたろーを自宅へ連れて帰り
皆で瞼が腫れるほど、痛くなるほど泣きじゃくりました。
こたろーは苦痛から解放されて、とても可愛い顔で寝ているようにしか見えないのです。
この日は一晩じゅう、こたろーをなでていました。
少しだけこたろーの傍で寝ました。
これがこたろーとの最期の添い寝になります。
9月24日(木)PM3:30
私達家族とばあや、ごんねーさんと静かにこたろーを送りました。
ペット火葬車をお願いして自宅まで来て頂きました。
お家が大好きだったこたろーです。
お家で大好きな皆と一緒に最後までいられるので幸せだと思ったのです。
PM7:00
お骨あげです。
こたろーは綺麗な骨がたくさん残っていました。
それを見た時に私は嬉しかった。
こんなにたくさん残っていてくれて、ありがとうとこたろーに伝えました。
よほど悪いところがあるとその部分は黒く残るそうです。
こたろーには見当たりません。
ただ、1か所を除いては・・・。
頭蓋骨に黒いものが見えます。
やはり、こたろーは巨大腺腫となっていたのでしょう。
それを見た瞬間に内蔵ではなくて良かったという思いが頭をよぎりました。
確かに黒いものが大きく残っているので最後は苦しかったに違いありません。
でも、内蔵であればもっともっと苦しんだでしょう。
直接の死因は確定できませんが、先生のお話では
巨大腺腫による多臓器不全ではないか。。。との事でした。
お骨上げも終わり、こたろーはやっと楽になって家に帰ってきたのです。
今は何も苦しむ事もなく、痛いところもなく、
食欲もあって好きなものを好きなだけ食べている事でしょう。
お散歩も独りで行っているかもしれません。
私の傍にいるのかもしれません。
今日は夫の仕事に一緒に行っているかもしれません。
今は辛く悲しくまだまだ涙が枯れる事はないと思います。
でも今だけだからねと、こたろーにお話ししてます。
もう少ししたら
お父さんもお母さんもあんちゃんも笑顔に戻るから心配しないで
皆がいる虹の橋へ行きなさいといいました。
こたろーは私達に幸せを与えてくれました。
不思議なのですが後悔は何一つないのです。
出来る事は全てしたという思い、
こたろーが今は楽しく遊んでいるという思いが強く強くあり
1年の闘病生活を終えたこたろーに
1年もずっと一緒にいてくれてありがとうと心からそう思うのです。
ずっとずっと、こたろーは私達の心の中で生きています。
永遠に。。。ありがとう、こたろー。
長い長いまとまりのない文章を読んでくださってありがとうございました。
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ジャンル : ペット
テーマ : ペットの健康・病気・怪我
ブログでしか会った事がないけど、涙が出てとまりません・・・・
これからは、いっぱい幸せをくれた、まあさん一家を見守ってあげてね。